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中山 正敏(なかやま まさとし、1913年(大正2年) - 1987年(昭和62年)4月15日)は、昭和時代の空手家。山口県出身。 == 経歴 == 中山家は先祖代々、剣道師範を務めた。しかし、祖父と父は外科医だった。彼も親から医師になるように育てられた。 1932年(昭和7年)、空手を学びたい気概があったために、父親の意思に背いて拓殖大学に入学。 1937年(昭和12年)には北京大東学舎留学生として中国へ渡った(台湾にも行った)。 終戦後の1946年(昭和21年)帰国。1948年(昭和23年)に日本空手協会を任意団体として設立した。1958年(昭和33年)には、日本空手協会の首席師範に就任した。1987年(昭和62年)、74歳で死去した。 作家のC・W・ニコルは中山の愛弟子の一人。『C・W・ニコルと21人の男たち』によると、山口の中山家は信州真田氏の真田信繁の末裔だと記されている。 ニコルも尊敬する中山の葬儀に参列し、涙を流して非常に悲しんだという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中山正敏 (空手家)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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